砡のふるさと

以前から福光付近で砡といって淡桃色のよく丸まされた礫(れき)が知られる。これを含む地層は後背の刀利ダム付近にあって楡原累層(にれはらるいそう)と呼ばれる。この石を研磨し美麗な砡盃が作られる。楡原累層は新第三紀初め(約三千年前)の地層であるが、更に古い中生代の手取統(約一億五千万年前)の中にもこの石は礫となって含まれている。従って砡は手取礫の中にあったものが侵食によって洗いだされ、再び楡原累層のメンバーとなって推積したものと見られる。ここで砡の故郷への追跡は壁につき当たる。砡は石英の粒の集まった石である。これがオルソコーツァイト(正珪石)であるといえば地質家は一様に目を輝かせる。そしてこの礫のもたらされた抑々の初めについて思いを馳せる。飛騨山地をくまなく調べても現在のところこの石が地層ないし岩盤の状態では見出されていない。この砡が岩盤となって存在している所は、残念ながら我が国では見られない。日本海を超えて中国大陸には、このオルソコーツァイトの岩層が見られる。ここでこの種の石は古い前カンブリア紀(約六~十億年前)基盤を被い、その上に古生代以降の地層が順次積重なっている。従ってこの石の存在は議論の分れている飛騨片麻石(これは少なくとも日本最古の岩石である)の形成時代に対して極めて有力な証拠を与えることになる。砡がれき(れきを)としてのみしか存在しないのは、かって飛騨山地にも砡の岩層が存在し、これが削剥されて無くなったものかも知れない。あるいは日本海域が陸地であった頃、中国大陸から漂着したものかも知れない。又はかって日本海域に存在し、いま失われた大陸の末裔であるかも知れない


           富山大学教授   相馬恒雄 文